運送プロ:ISA

発見と実現

昭和から平成に代わりバブルが弾けた頃、「仕方がないお前がやれ」と上司から声がかかりました。

私が勤める会社の営業所では、一か月で3件の重大人身事故が発生、前月も先々月も人身事故と物損事故が多発。そのため運行管理の責任者が次々と交代。誰も現状を打開できない状況が続いていました。

そうした中、間接部門の責任者であり衛生管理者であった私に声がかかったのです。

仕方がないというのは、期待されての言葉ではなく、「いまのところ他がいないからしょうがないお前やっとけ」くらいの感じであったことは間違いがありません。ですが、自由に存分にやらせていただくことで承諾いたしました。

その後、運行と労務を両軸にし、社員教育を中心に置いた現場内教育改革を進めていきました。その結果、1年間人身事故ゼロを達成、合わせて入社社員1年以内退職ゼロを達成。ドライバーの休日数を増やし社内環境をどんどん変化させていくことができました。

社内環境が良くなるとドライバーはどんどん元気になります。そしてお客様もどんどんやってきます。バブルが弾け世間は冷え切っていましたが、営業所内エリアに外資系の大型顧客が参入し、元気な私たちに声がかかるようになり、私の勤務する営業所は最高の売り上げと利益を上げるようになっていきました。

「社員教育が会社を変える」

そのことを発見し実現したのです。

しかしその後、上司が変わり、社内教育活動について自由に行動することが出来なくなりました。その結果、営業所は、また最悪の状態に戻っていきました。

良くも悪くも「社員教育が会社を変える」を実感しました。

その後、営業所を転々と放浪。

社員教育による現場の推移を経験したことから「教育システム」そのものに関心を持った私は21年務めた会社を辞め、国内最高峰の教育システムを持つ学校教育の世界に進んでいくことにしました。

学習システム探求

2004年3月

学習塾を開業。

学校教育は、小学校入学から高校卒業までの12年間カリキュラムが緻密に組み立てられた世界です。

業界内ではその内容についていつも喧々諤々と見直し意見が飛び交い、計画的に時には突如バージョン変更があります。

その速度はどうしうようもなく遅く時代についていけないなどのことがあったりはしますが、多くの人が知恵を出し合い、常に最高のものであろうと、手をかけられたカリキュラムと内容を持っています。

学習塾の運営をしながら、常に求めていたものは、この【学校教育】を使い「どうしたら本物の力をつけることができるか」です。

「年少期からの基礎学力」「高度な学びに取り組みする力」「学校テストや入試という目標に対して結果をだす力」

学校教育システムを分解し生徒に合う形に組み立て、指導方法を徹底探求していきました。

そして、夏休みや冬休みになると、全国から子供たちがやってくる塾になりました。それぞれの学生人生で結果を出すためです。

勉強に悩みを持つ子供たち、学力は様々です。支援級ギリギリの子、偏差値70を超える中高一貫校の子。北海道から沖縄まで全国からやってきます。そして普段は海外生活で帰国したときに日本の学校教育を学びにくる子。そして、やんちゃで伸び伸び育つ近所の子。

そうした子供たちが、小さな教室で「経験したことのない超越した学び」を体験していきます。そして、目には見えない「確かな力」を身に着けていくのです。

生徒集めでは、「生徒募集」というよりも「挑戦者募集」をしていました。

こうした学習塾運営はとても体力がいる仕事です。60を過ぎた私は、2004年(平成19年)18年間続けた学習塾運営を引退することにいたしました。幸い、若くすばらしい能力を持った方に引き継ぎすることができました。

再び運行管理

2015年3月

学習塾経営を始めて11年、税理士事務所に転職した以前の部下から「手伝ってほしい」との声がかかりました。

「顧客の運送会社に運輸支局の監査が入ったが運行管理者が逃げてしまった」

再び運送に関わる仕事はしたくありません。そして学習塾という本業があります。

しかし運行管理者資格を持つ人を探すのはたやすいが、今後の対応ができる人はかなり少ないという状況でした。

ドライバーの出発から昼までを勤務時間として午後から塾に戻るという形で心ならず承諾。

場合によっては、事業停止、許可の取り消しも十分考えられる実態がそこにはありました。

社員として入社し運行管理者に選任、すぐに支局とのやり取りを始め、下りた処分は車両使用停止80日車。助かりました。

入社時は【運行管理】という言葉が、まったく見当たらないと間違いなく言える運送会社でしたが改善報告では「まちがいなく静岡県東部トップクラスです」との評価をいただきました。

再確認

改善報告を終えてから2年ほどして、そろそろ身を引かせてもらおうと思っていた矢先、有限会社一人役員であった社長が倒れ命はあるものの復帰は不可能となりました。

社長近隣に親しい肉親がいないため会社は自然に清算されていく。会社が空中分解した瞬間です。そんなときに、一人のドライバーから質問がありました。

「俺っちの給料どうなる」

確かにそうです。会社には社員もお客様もいます。

その日から、ほかの社員と協力しあいながら、非常事態に対応する尋常ではない活動をしていきました。

様々なやっかいなことがある状況です。その中の一つは「売り上げと利益」。

決算後の納税等をすますと通帳に残る現金が不足する可能性がある、しかし社長がいないため銀行借り入れはできない。決算まで半年もありません。

この会社でいますぐ売り上げを上げる方法は何か。答えは簡単でした。

「稼働率を上げる」です。

ドライバー数を増やすことで営業車の未稼働日数が減らせる恵まれた状態だったのです。かつてとった、ドライバー募集から単独常務までの流れを実践すればよいのです。

口を出してブレーキをかける上司はいない、そして信頼しあえる仲間ばかり。

簡単でした。中途退社は何人かいましたが、延べ選任ドライバー数増員は売り上げに貢献。決算、納税等の支払いのすべてを終え、通帳には次月の支払いに十分足りる数字があります。

また裁判所の力強い協力を得て内部抜擢で新社長の選任もできました。そしてすべてを新取締役社長に引き継ぎさっさと身を引きました。

「社員教育が会社を変える」

このことは「本当に大きな力を持っている」と再確認した出来事でした。

再び運送会社へ

2022年5月

開講して18年運営した学習塾を引き継ぎ、家で毎日ボウッとしていました。

「今日何しよう」「今日のお昼は」「夕ご飯は何時」

それが日々の課題であったとき、一枚の求人票が夕ごはんを食べている箸の手元にやってきました。

「衛生管理者募集」

同年7月

今(令和7年1月現在)も在籍する会社です。久しぶりのサラリーマン生活が始まりました。

入社してみると植木等の映画のようです。何もしなくてもサラリーがもらえます。

何もしなくてもというのは、営業的に実績がなにもなくても、日々の作業をするだけで毎月定額でお給料が入るという感覚からです。

「仕事」という行為の「力ベクトルだけ」でもよいのです。変位には関心を持たなくても日々を過ごしていくことができます。

業務上の行動では通常1銭もお金を払う必要がありません。経営者であるときは、何か行動するときには初期投資が少なからず発生することが多いものです。

そして何のリスクを負うことなく働くことができます。失敗してもほとんどの場合は、会社での対応となります。

ただ感謝でしかありません。

目の前で起きるドタバタは、松竹花月舞台のような感じです。平和です。

この会社では、毎月、業者による法定12項目研修が行われていました。同時にミーティングを行い社員の意見を聞くという面白い企画です。

1年ほどで業者の再契約時の提示金額があまりにも高いことから継続契約はなくなりました。

そのため、法定12項目研修を引き継ぐ形で実施。

とりあえず、ミーティング以外は、いままで業者がやってきたことと同じことをやれるように工夫しているうちに、トラック協会からGマークの更新書類がやってきました。

Gマーク更新活動

Gマーク課題を中心において会社状況をみると、30年以上前の運送会社風情です。

それでも以前、Gマーク課題をクリアして認証を取得している事実。

そして、大概のものは紙媒体でやり取りされ、お客様との主な通信手段は電話とFAXという、一日の活動も30年以上前風情です。しかし、今、社員に給料を払い、納税して利益を創出しているという、会社として正解を出しているという事実。素晴らしい。

壁に貼ってある、墨で手書きの大きな安全スローガンと混ざり合う月の予定案内や注意事項。掲示物が管理文書であるという意識はまるでありません。

タイムマシンで30数年前に戻ってきた感じの面白い会社ですが、それでもGマークの更新はクリアしなければなりません。

結構やっかいでしたが、幸い、営業所内のものだけでは足りない部分を本社の方で協力していただきました。また、普段はしていない仕事を無茶振りして活躍していただいた主任やドライバー。こうした連携ができるところが会社という組織の楽しいところです。

A方式で結果は、①「安全性に対する法令の遵守状況」40点満点マイナス2の38点、②「安全性に対する取組の積極性」で20点満点マイナス2の18点、それぞれ一つずつ不適合がありましたが、まあ高得点でクリア。本当は、満点でありたかったので悔しいところです。

①は、私自身の年度内講習が難しい運行管理者選任タイミングだったという問題でした。

②は、つかえそうで使えなかった資料を用いたことでした。先月まで行われていた業者による研修ミーティングで作られた資料です。よく吟味せず安易に使ってしまいました。

業者企画の研修ミーティングは、結構なお金と時間を費やして行ってきた活動だったと思いますが、Gマーク更新時②で有効使用できた書類は1つです。Gマーク適合性は低い活動だったといえます。現場を知らない会社と社員での企画のためやむをえないところがありました。

タイムマシン

こうした活動は、楽です。なぜならば30数年前すでに経験してきたことばかり。あの時、何を考え、何を選択したのか、そして何を導いたか。すべてが体の中にあります。

ブランクがある分、惑うこともありますが、多くの場合は勝手に体が動きます。荷物の積み込みと一緒です、頭が「なんだっけ」と言っていても体が勝手に荷物を積み上げていく。そして気づけば、10tトラックをパンパンにしている感じです。

そしてタイムマシンにのって30数年前にやってきたのですから、未来のゴールを知っていて行動することができるのです。周りの人にはわからないので信じてもらうことは、できませんが。

感謝

サラリーマン生活は楽しいです、そして感謝の日々を過ごすことができます。

本当にありがたく思います。

しかし中途半端に行動する日々が続くのは確かです。

定年を機に月々の研修のみ担当させていただき、心残りはありますが離れていくことにしました。

運送会社での実績と学習塾での教育探求を合わせた社内研修

運送会社実績というのもおこがましいのですが、多々の成功と失敗を経験をしてきたのは確かです。その中の多くは、自分の頭を使い実践して出した結果です。そして学習塾での徹底探求。

「社員教育が会社を変える」

間違いのない事実であることを確信しています。

令和6年12月に65歳、十分に自分の体を動かせる年月を考えたとき、この事実をもっと世間に活かしていきたいと考えるようになりました。

これからするべきことは、「社員教育が会社を変える」のさらなる実践です。

「運送会社での実績と学習塾での教育探求を合わせた社内研修」

誰も関心を持たないかもしれません、それでも構いません。

以前いた営業所のように、想定外の危機を迎えたあの会社のように、必要とされるところにのみ答えを出しにいきたいと思います。

それが、これからの私の仕事です。

令和7年1月6日、一般貨物運送事業社内教育アカデミー【運送プロ:ISA】創業前日 19時58分

石嶌之広